王朝時代の綱挽絵

takachiyan

2009年09月18日 15:10

那覇大綱挽保存会の事務所に飾られている昔の那覇大綱挽の様子を描いた絵の複写が泉崎実行委員会へ寄贈されました。



この絵は約170年前に当時琉球王国の著名な絵師の泉川筑登之親雲上寛英(いずみかわちくどぅんぺーちんかんえい)唐名、慎思九(しんしきゅう)が描いた那覇四町綱の絵を元にしていると思われます。
慎思九の描いた綱挽絵は「親見世綱之図」と言われ沖縄戦で消失し現在は写真のみが残っているようです。
この絵はおそらく「親見世綱之図」の写真を複写したものでしょう。構成、旗頭の数等、大体一致しています。

「親見世綱之図」
那覇大綱挽の30周年記念誌に載っています。
泉崎の「グーヤー」があります。
昔はトゥールーが四角型だったようです。旗字は変わらず「泉」の一文字です。
右隣に辻の旗頭「芝蘭(しらん、旗字は助勢)」が見えます。
この絵では泉崎は西方です。



「湧田」の旗字の湧田の旗頭「太鼓(てーく)」。締め太鼓をかたどった旗頭です。
現在この旗頭は残っていませんが、昔から「湧田泉崎(わくたいじゅんじゃち)」と言われているように湧田と泉崎は一つと言っても良い地域でした。
湧田は東方についています。



中央部分の東と西の一番旗。
東は「大結(うふむすん、旗字は東)」と分かりますが西は何でしょう??
昔の西一番旗は「日之輪(ひぬわー、旗字は西)」のはずですがこれは花?書き違えたのでしょうか?

写真はこうなってます。
東一番旗「大結」と西一番旗「日之輪」です。




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